【24時間テレビ】マラソンはいつからなぜ企画された?気になるギャラ事情は謝礼だった‼

今年で45回目を迎える24時間テレビは、夏の風物詩と言っても良いくらいの認知度の高い番組です。

数々の著名人が参加する企画がある中で、24時間テレビで放送されるマラソンについて走る意味はあるのか?という疑問の声があがっています。

中にはマラソンをやる目的や理由が一体何なのか分からないと批判の声もあります。

今回なぜ、24時間テレビでチャリティーマラソンがいつから、なぜ始まったのか調べてみました。

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目次

24時間テレビ概要

24時間テレビは、1987年に「愛は地球を救う」をキャッチフレーズとして、日本各地でチャリティーキャンペーン活動を行う番組として誕生しました。

番組内容は毎年設定されるメインテーマに基づき、健常者のみならず、障害者や被災者、難病患者などにも着目、チャリティーマラソンやドラマスペシャル、ドキュメンタリー、チャレンジ企画などを中心に構成されている。

24時間テレビ 「愛は地球を救う」 – Wikipedia


募金はお金は経費を一切差し引くこと無く全額が3つの支援活動に分配されて活用されています。

  • 「福祉」(高齢者や身体障害者への支援):福祉車両の贈呈、身体障害者補助犬普及支援、障害者情報保障支援など
  • 「環境」(地球環境保護支援):日本をきれいにするプロジェクト、全国各地での環境美化活動など
  • 「災害復興」(災害緊急支援):日本国内・海外で発生した災害に対する緊急支援など

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24時間マラソンはいつから始まった?

24時間マラソンは第15回(1992年)の番組リニューアル以降、2019年まで毎年実施されていた恒例企画です。

初代走者は間寛平さんです。

初めて実施された第15回(1992年)は事前に出発地や武道館までの経路を公開したため、一目見ようと道路に多くの人が殺到してしまいました。

さらには寛平の後方から車や自転車で追尾する心ない視聴者まで現れたため、近隣への迷惑や交通の妨げになるとして途中棄権となっています。

それ以降は出発地やマラソン経路地は原則非公開となっています。

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マラソン企画を提案したのは間寛平さんのマネジャー

24時間テレビでマラソンが始まった理由は感動をするからでは、無く「間寛平さんの出番を作る為にマネジャーが提案した」と言われています。

出典先=Twitter

1991年の24時間テレビの平均視聴率が6.6%と史上最低視聴率を記録していました。

24時間テレビ14(1991)の平均視聴率が6.6%と、かなり低い数字にも関わらず、翌年の24時間テレビでは17.2%、その翌年以降も安定して15%前後とっていますが、何があったのでしょうか? チャリティマラソンだけでここまで伸びるでしょうか?

24時間テレビ14(1991)の平均視聴率が6.6%と、かなり低い数字にも… – Yahoo!知恵袋

この頃の『24時間テレビ』は、「2時間特番×12」というような構成になっていました。

つまり、それぞれのクオリティを重視するあまり、ドキュメンタリーやアニメ、バラエティ企画の2時間特番がぶつ切りで放送されているだけで、実質的にひとつの番組にはなっていなかったようです。

そこで「24時間×1番組」の生放送にしようとのことで番組の構成を考えていたようです。

当時、「マジカル頭脳パワー」や「いつみても波瀾万丈」など日本テレビの人気番組のレギュラー出演していた間寛平さんで企画をマネジャーに相談したところ、マネジャーから『マラソン』を提案されたと言われています。

小杉は『マジカル頭脳パワー!!』や『いつみても波瀾万丈』など当時の日本テレビの人気番組のレギュラー出演者だった間寛平が番組に欠かせないと考え、当時の寛平のマネージャー・比企啓之に話を持ちかけた。
「寛平さんで何かいい企画ないかなあ」
その問いかけに比企は目を光らせた。
「どうですか、番組の中で、スタートからエンディングまでの24時間、うちの寛平を走らせたら」

今年はEXIT兼近が挑戦!「24時間チャリティーマラソン」はいかにして生まれたのか(てれびのスキマ) – 個人 – Yahoo!ニュース

提案したマネジャーは間寛平さんが24時間走れると思っていたようです。

なぜなら間寛平さんは1988年から「スパルタロン」というアテネとスパルタの間の246キロを36時間以内で走るというマラソンレースに挑戦しています。

88年と90年に調整した時は無念のリタイアに終わったものの1991年には35時間4秒のタイムで完走した実績があったからです。

実は間寛平は88年から、「スパルタスロン」というマラソンレースに挑戦していた。このレースはアテネとスパルタの間の246キロを36時間以内で走るという過酷なもの。88年、90年に挑戦した際は、無念の途中リタイヤに終わったものの、91年の挑戦で35時間4秒のタイムで見事完走。日本人参加者の中では2位、全参加者の中でも20位という好成績を記録していたため、できるという確信があったのだ。

今年はEXIT兼近が挑戦!「24時間チャリティーマラソン」はいかにして生まれたのか(てれびのスキマ) – 個人 – Yahoo!ニュース

間寛平さんのマラソンに視聴者が釘付けになったこの年に番組の代名詞となるテーマソング「サライ」も生まれ、視聴率も当時歴代最高視聴率となった17.2%を記録しています。

また瞬間最高視聴率も37.7%を記録して「24時間チャリティーマラソン」は『24時間テレビ』の象徴となったようです。

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チャリティーマラソンでもギャラが発生?

出典先=Twitter

24時間テレビでは、出演者にはボランティアで出演要請をお願いしているようで、謝礼という形でいくらかお支払いをしているとのことです。

24時間テレビに出演して頂いたタレントのギャラについては、基本的にボランティアでお願いしております。しかし、拘束時間の長い方など、場合によっては謝礼という形でいくらかのお支払をしております。但し、それは通常の拘束時間に対して払うものの何割かにあたる程度であり、タレントによっては謝礼を辞退される方もいらっしゃいます。「通常より高額のギャラが支払われている」というご指摘は事実無根です。

2000年11月 | BPO | 放送倫理・番組向上機構 |

公表されているわけではないのですが、大体この金額だとメディアはみています。

・メインパーソナリティー 1000万円
・マラソンランナー    1000万円
・パーソナリティー    500万円
・アナウンサー(司会)  500万円    
・その他出演者    10~100万円

出演するための準備期間や告知、放送後も同じ局に出演するため高額に設定されているとも言われていますが、今のところはっきりとしたことはわかっていません。

公表されているわけではないのですが、大体この金額だとメディアはみています。

24時間テレビ初代総合司会の萩本欽一のギャラは1億円だったといわれています。

オファーされても断り続けギャラを吊り上げたギャラを全て寄付をしたエピソードがあります。

どぶろっくの森慎太郎によると、今から39年前、「24時間テレビ」の初代総合司会をオファーされた萩本は、どれだけ高額なギャラを提示されても断り続け、最終的に、「今までにない破格の金額」を提示したところ、萩本はようやく承諾したのだという。
ずんの飯尾和樹によると、その金額は「1億円」だったそうで、その金額で引き受けた萩本は「そのギャラ、全部チャリティーに回してくれ」と頼んだという。

24時間テレビ初代総合司会 萩本欽一のギャラは1億円だった…男気秘話/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)

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まとめ

24時間テレビ企画でマラソンが開始されたのは、間寛平さんのマネジャーさんが提案したことがきっかけだったようです。

間寛平さんのマラソンに視聴者が釘付けとなり高視聴率を取り番組の象徴となりました。

もしこのマラソンの企画が低視聴率だったらマラソンの企画もなかったのかもしれませんね。

ギャラ事情も調べてみるとギャラではなく謝礼という形で対応していることがわかりました。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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